コロナ禍をきっかけに保育の仕事をしたいと思うようになりました

コロナ禍をきっかけに保育の仕事をしたいと思うようになりました


忙しく働き続けた2020年

私の仕事はWeb制作です。コロナ禍になる前からずっと100%リモートワークでしたし、ありがたいことに案件は潤沢にありました。
新しい分野にも挑戦できて、いろんなチャンスが飛び込んできたので、右往左往しながらも、がむしゃらに働き続けてきました。

でもある時、「これを長くは続けられない」と自分の中で警報が鳴るのに気づきました。

オフラインの仕事をしたい

コロナ禍で、すべてがパソコンとzoomで完結する毎日の中、とにかく人と会うことに飢えていました。
なんでもいいから、家族以外の人と、直接会って話をしたい。

さらに、「Webサイトを作ること」や「Webの新しい技術」そのものへの熱意が少しずつ薄れてきている自分を感じていたのです。新しい技術を知ることは業務にとても重要なことですし、とりあえずまずは試してみることはします。ただ、第一線で制作することに限界を感じるようになりました。

フリーランスとして独立してから21年です。1996年に初めてHTMLを書いて、1999年からWeb制作の仕事をしてきました。2021年の今、ノーコードやローコードのツールがたくさん登場するなど、制作の手法そのものが大きく変化しています。
「もう、今までのような制作の業務は減らしていくべきなんじゃないか?」という心の声が聞こえました。

初老に差し掛かったWeb制作者

2020年で、私は50歳になりました。
もう人生の終盤です。これから何をしたいのか?
この問いをずっと考え続けてきました。

「この人と仕事したい」と思えた人とだけ働く

Webの技術が面白くて仕方がなく、ひたすら作る仕事をし続けたくて始めたWebデザイナーの仕事ですが、いつの間にか業務そのものよりも、「人」を中心に考えている自分に気がつきました。

  • コードを書くのは最低限にして、可能な限り他の人に任せて、サポートに徹する
  • 雑務とか進行管理など、「やらなきゃいけないけどめんどくさくてなかなかやらないこと」を引き受ける。そうすると、ありがとうと言ってもらえるから。

結局、「何をするか」よりも「誰とするか」の方が大事

幸い、コロナ前の5〜6年で関わったWorPressのコミュニティ活動のおかげで、自分はフリーランスのまま継続的に一緒に働ける人たちに巡り合うことができました。
ひとりで請け負うことができないような、大規模な案件をチームで制作することが可能になった事はとても重要でした。私は手を動かしてコードを書いたりデザインをする業務を少しずつ減らし、制作者やクライアントが業務を進めやすくするためのサポートをする、裏方の仕事をするようになりました。

思えば、大学時代の演劇活動も、裏方をやってる時が一番落ち着いてた気がします。

でも、コロナが蔓延するようになり、家に籠って仕事する時間が増えてくると、もう少し違うことをしたいと思うようになりました。

自分が一番幸せだったときはいつだろう

公園のベンチにぼんやりと座りながら、走り回って遊ぶ小学生の姿を見ながら思ったこと。

「もう一度、子どもと走り回りたいなあ」

CD-Romに焼いてあった写真をクラウドに移す作業をしていたとき、自分が一番幸せな顔をして輝いていたのは、赤ん坊を抱いていた頃や、幼い子どもの世話に明け暮れていた頃のように感じました。

ベビーシッターだったら、60歳を過ぎても、体力さえあればできそう。

「そうだ、保育士の免許をとろう」

私には高校生になる息子がいます。30〜40代前半までは二人目の妊娠を強く希望していましたが、残念ながら叶いませんでした。

里親になることを考えたこともあります。でも、結局踏み出せませんでした。

自分が元気なうちに、孫の子育てをしたいなあ、となんとなく思っていますが、息子が結婚して子供が生まれるころに、私が元気でいられる保証もありません。

保育士免許を取れば、ベビーシッターのマッチングサービスに登録して、個人事業主として仕事ができるし、児童館の職員にもなれるかも。保育園や児童養護施設で働くこともできるかもしれない……
オフラインイベントの出張託児もできる!!

そんなわけで、保育士の資格をとるための勉強をはじめました。


shoko administrator

フリーランスのWeb制作者。WordPressのサイト構築、およびWebデザインとディレクション。専門学校HAL東京にてWEB学科の講師をしています。WordPressコミュニティに出没。趣味は合気道。